フランス人は10着しか服を持たない
暖かくなったからか、
気抜けする時間が多くて、
何かできるかもしれないけれど、
とりあえずお茶を飲んでしまう。
弛緩した時間。
昔読んだ小説に、私たちは定期的に食べ物を求めのろのろと体を動かす、なぜそうしなければならいのだろう、と書いてあって、
今はそんな感じ。
本当は、食にも、買い物にも、
椅子に座ったこの時にも、
何かを有意義に思いたくて、
でも実際にはそんなことはないので。
こんなにむつかしく構えているので、日向ぼっこも上手く出来ていない。
いま、フランス人は10着しか服を持たない、
や、
ミニマリスト関連の本が売れているそう。
なるほど、確かに、こうやって家のドアをあけて部屋を眺めてみれば、
確かに物が多すぎる。いらないものばかり。
好きでないものばかり。
さっき。ついさっき。
ずっと長い間しまっていた、昔の布団を捨ててきた。ダブルベッドにして、サイズが変わったので使わなくなったも、
なかなか捨てようと腰があがらなかったのだ。
それだけで、押入れはポカンとあいた。
一瞬、心地よいような気がした。
そうか。厳選する、ということなのだ。
ミニマリスト。好きなものだけに、囲まれたならば、どれだけ素晴らしいことだろう。
しかし元来根暗な自分は、
その他にも”厳選する”をしなければ
この弛緩した空間が直らないことに嘆いた。
素直に、押入れは空いた、と喜べばよいのに。
これから一つ一つ減らして、
好きなものを置く、を繰り返せばいいのだ。
だが、それが時間のかかる作業だと
思うと、別に期限なんぞないのに、
少しがっかりする。
気難しいのである。
それが、良くないことは分かっているのである。
iPhoneから送信
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。